初代「赤星法源先生」は生年月日は分かりませんが、熊本県天草出身で若くして金峰山に学び同本山で活躍されていましたが四十路を超えた昭和10年代初期の頃、当「飯野」の地に居を構え真の神仏を求め霧島山系を中心に修行を重ねお地蔵様の教えに辿り着きました。数々の行果を残し、昭和27年1月14日幼い慈光法師にあとを託しこの世を旅立たれました。
昭和18年8月20日慈光法師は竹村家の六男として生まれ先代の教えを家族で信仰されていました。その中で母親の支援のもと小さいながらも数々の行を重ね、導師を勤めたりしていました。中学を卒業すると家に仕送りを続けながら神社仏閣を廻り、神仏に対して世の中の在り方を知り、三十歳の頃、先代のおられた本山へ修行に入りました。二年足らずの内に法名までいただきましたが、先代同様、霧島山系で修行するため帰郷しました。
昭和22年5月18日妙光法師は隣町の鹿児島県湧水町で山口家の三女として生まれ、この世の不思議さ、人の有様をひたすら考え、解決のない不安を抱きながら三十歳後半に至っても苦しみの中にありました。
昭和59年5月14日神仏の導きにより、慈光、妙光は遭遇し、同志として真の神仏の教えを求めて世の中の疑問解決への荒行が始まりました。
昭和60年5月18日「霧島千日回峰行」前行のため入山
昭和61年2月4日「霧島千日回峰行」に入る。この行はすさんでいきつつある世の中に対してどのように行じていけばよいのか全くの手探り状態での行でした
昭和63年11月2日「霧島千日回峰行」満行
昭和63年11月3日五体投地お礼行
平成元年4月14日根本道場慈光院として誕生する
平成3年3月5日「千座行」この行は神仏に対して般若心経100万巻、護摩木100万本を護摩修法しこの世を救っていただくための行でした
平成8年1月8日宗教法人認可。宗教的に難しい中での法人化でした
平成8年7月10日「千座行」満行
平成8年10月23日本堂建設へと向かう
平成8年11月17日地鎮祭
平成11年5月24日棟上げ
平成11年12月24日本堂完成。落慶法要
平成21年4月12日護摩堂建設のため地鎮祭
平成21年7月19日護摩堂棟上げ
平成21年9月14日護摩堂落慶法要。総檜造りの護摩堂です。
護摩堂
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